蓮舫代表は4日、東日本大震災から6年を前に党東日本大震災復旧・復興推進本部(岡田克也本部長)とともに宮城県を訪問。気仙沼市、南三陸町、石巻市、東松島市を回り、被災地の復興状況やさらなる課題について現場の声に耳を傾けるとともに、未来へつなぐ希望をかたちにした新たな復興の姿を目の当たりにした(写真上は、気仙沼中央公民館の屋上で説明を聞く蓮舫代表ら)。
気仙沼市ではまず、中央公民館の屋上で南気仙沼を一望しながら市役所の担当者から復興状況について説明を聴取。手編みセーター等製作会社「気仙沼ニッティング」では、社長の御手洗瑞子氏らから話を聞いた。
「気仙沼ニッティング」は、東日本大震災から1年後に気仙沼で立ち上げ、翌13年に法人化。気仙沼を拠点に、高品質で一生ものになる手編みのカーディガンやセーターを製造販売している。震災当時ブータンにいたという御手洗氏は、「編み物なら糸と編み針さえあればどこでも始められる。そしてそれは、新しい産業となり得る可能性を秘めている」「気仙沼の人はグローバル。海とともに生き、若者、よそ者、馬鹿者の私を受け入れてくれた」などと創業のきっかけについてコメント。同社で作業している編み手の人たちは、「震災後、編み物に打ち込むことで余計なことを考えずに済んだ」「なによりも自分の都合で場所を選ばず作業できることが大きい」などと仕事にかける思いを語った。
同市内のデニム製造工場「オイカワデニム」も訪問。東日本大震災1カ月後に約20キロ離れた場所で発見された約40本が泥まみれではあるものの1カ所のほつれもなかったことから、「奇跡のジーンズ」と呼ばれるようになったという。同社では震災後、被災した大漁旗や漁網、サメ皮、アワビの貝殻を使ったバッグなど地元の物を活用した商品を作り出しており、一行はそのアイディアや独自の縫製技術などを称賛した。
南三陸町では、3日にオープンした「南三陸さんさん商店街」を訪問。震災の翌年2月、被災した町の飲食店などが集まって仮設商店街としてオープンした同商店街は、昨年末をもって仮設店舗での営業を終了し、かさ上げされた、かつての町の中心部に移転した。
石巻市では、東日本大震災の大津波で児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明となった大川小学校の跡地を訪れ、慰霊碑に献花。「ご遺族や被災者の思いを受け止め、与野党で努力しなければならない」と語った。
東松島市では、昨年12月に竣工した市立宮野森小学校(東日本大震災の津波被害を受けた市立野蒜小学校と同宮戸小学校が統合した小学校)を視察。復興のシンボルとして新たに建設された同小学校は、「森の学校」がコンセプト。現6年生は震災直後の11年4月に入学して以来仮教室や仮設校舎で学校生活を送ってきたため、市は少しの期間だけでも新しい校舎で学ぶ時間をつくってあげたいと急ピッチで工事が進め、今年1月9日落成を迎えたという。
東松島市長らの案内で校舎内を回った一行は「すごい」「これは子どもが喜ぶ」「通いたい」などと絶賛。震災を経験した子どもたちの夢や希望を育む同市の取り組みに感嘆の声が絶えなかった。