日本の政治史上で長く続いた「一党支配体制」。2009年の政権交代を経てようやくやってきた政権選択時代。時計の針を元に戻してはいけない。
国民の選択 イギリスとアメリカ
2016年、2つの民主主義大国の国民が世界を驚かせる投票行動をとりました。
2つの大国とは、イギリスとアメリカ。
2016年6月、イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利。それから5カ月後、11月のアメリカ大統領選では共和党トランプ候補が勝利。いずれも大方の予想を覆す投票結果でした。
世界を驚かせたこの2つの投票結果は、国際情勢に大きな影響をもたらしています。今後の展開も予断を抱けません。
その是非は別にして、イギリスもアメリカも世界の議会制民主主義をリードしてきた国です。国の行く末に関わる大胆な決断を、国民自身が選挙によって決定したことには民主主義の蓄積を感じます。
議会制民主主義は、元祖であるイギリスは約700年、後発のアメリカでも約240年の歴史があります。国民は選挙による政策選択、政権選択を心得ています。
イギリスのEU離脱とアメリカのトランプ政権という選択は、国民が期待した結果をもたらさないかもしれません。しかしその時には、この2つの民主主義大国の国民は、再び選挙による投票行動を通して軌道修正を行ったり、新たな決断を導くことでしょう。
それが、民主主義が成熟した国の醍醐味です。
イギリスでは保守党と労働党、アメリカでは共和党と民主党という二大政党が根づいています。
それ以外の中小政党も存在しますが、長い間、二大政党を軸にした政権交代を続けています。
二大政党の下では、常に政権交代可能な政党が2つ存在し、国民が現政権に不満を感じれば、選挙で政権を代えることができます。国民による政権選択が可能です。
日本では、2009年にようやく本格的な政権交代が実現しました。「本格的な」とは、普通選挙の下で、「第一党」が入れ替わる格好での政権交代を意味します。
そういう事実をご存じない若い世代も増えていますので、日本の政治史を少したどってみたいと思います。
女性が選挙権を獲得してまだ71年
そもそも、日本の国会はいつ誕生したのでしょうか。それは、1889年、大日本帝国憲法発布によって、その中に国会(1947年までは帝国議会)を設置することが明記された時にさかのぼります。
明治時代を迎える前は、戦いによって政治の覇権を奪い合っていました。明治維新後も戊辰戦争、西南戦争等の混乱が続いたものの、近代国家への道を歩み始めた日本では、欧米諸国を参考にしつつ、国民の政治参加への期待が高まり、自由民権運動へと発展していきました。
そして大日本帝国憲法が発布され、翌1890年、初の国政選挙実施を経て、第1回帝国議会が開かれました。
つまり、国会ができて128年、初めての国政選挙が行われ、国会が開催されてから127年しか経っていません。
しかし、当初選挙権を有していたのは、税金を年に15円(現在の価値で数百万円程度)以上納めている25歳以上の男子に限られていました。
当然有権者数は少なく、たったの45万人。人口比で1・1%にしかなりません。これでは国民の声が届くどころか、政治は一部の特権階級のものに過ぎず、議会制民主主義には程遠い状況でした。
そのため、国民の参政権を求める声に押され、徐々に選挙権が拡大。1928年には、初めての男子普通選挙が行われましたが、女性には選挙権がないという理不尽な時代が続きました(年表参照)。
そして太平洋戦争に敗戦し、多くの犠牲をはらい、被害に遭った日本では、国の行く末は国民の選挙によって決めるべきだという当然の改革に至り、1946年、初の男女普通選挙が行われました。
女性も選挙権を獲得し、男女普通選挙が行われたのは、今からたった71年前の話なのです。
硬直化を招いた「55年体制」
しかし、その後も本格的な政権交代が起きるまでには長い月日を要しました。
政党の合従連衡により、1955年、自民党と社会党が誕生しました。一見、二大政党体制に思えるこの「55年体制」の下では、政権交代は一度も起きませんでした。
常に与党の自民党と、常に野党の社会党。欧米先進国が何度も政権交代を繰り返す中で、日本だけは「55年体制」の下での硬直した構造が続きました。
そうした硬直性に対する懸念と批判が、国民各層に広がるとともに、自民党の中でも高まり、1993年、とうとう自民党は分裂。選挙の結果、非自民の8党派による連立政権が誕生しました。当選1回の細川護煕元熊本県知事が首相になりました。
38年間続いた「55年体制」はいったん崩壊し、政権交代はしたものの、選挙によって「第一党」が入れ替わったわけではありません。非自民8党派が集まって過半数を確保したものであり、政権交代というには中途半端なものでした。
その後再び自民党が政権に戻るものの、以後、自民党単独政権はなく、連立政権の時代に入りました。とはいえ、その実態は「55年体制」の系譜を継ぐ自民党「一党支配」と言えるでしょう。
ここで、「一党支配」が長く続くことの弊害について考えてみます。
最も深刻なのは、政策が硬直化することです。政権が長期化するほど、官僚、政治家、財界人などの利害関係者(ステークホルダー)間のしがらみが多くなります。そうした関係は、政官業の「鉄のトライアングル」と呼ばれ、時代の変化や社会のニーズに応じた政策変更の大きな障害となります。
さまざまな利権、既得権益が生まれやすく、不要・不急の予算が硬直化し、経済や社会の活力が停滞します。経済効果が乏しい不合理な公共事業や不正な利得が経済や社会を圧迫します。
さらに、政治家の世襲化も増える傾向があります。国民が直面する課題に対する問題意識や感受性の低い世襲議員があまりに多くなると、国民感覚と乖離(かいり)した政策や国の運営につながるリスクが高まります。
1993年当時、そうした懸念に対する動きとして、非自民の連立政権が誕生しましたが、再び自民党政権に戻り、その構造は温存されたまま2000年代に入りました。
ようやく到来した政権選択時代
こうした状況を憂慮した動きが、民主党の誕生につながりました。
そして、2009年、国民は選挙によって「本格的な」政権交代を選択し、民主党政権が誕生しました。わが国2千年の歴史の中で、国民が選挙によって政権の担い手を大胆に交代させた初めての経験であったと言えます。
1回の選挙で「第一党」が入れ替わるという、「本格的な」政権交代が日本で初めて実現したのです。
しかし、民主党政権は3年3カ月で終わり、再び自民党を中心とする政権に戻りました。硬直化した政策や既得権益の見直しも道半ばの状態です。
私たちは、再び挑戦しなければなりません。日本で政権選択可能な時代になってわずか8年。このままかつての硬直化の道に戻って良いわけがありません。
先進7カ国の中で、アメリカ、イギリス、ドイツは二大政党制の下で政権交代を繰り返しています。フランス、イタリア、カナダでも政権交代は繰り返し起きています。
日本は、長い歴史を経て、ようやく政権選択時代になったのです。歴史を逆戻りさせることなく、再び国民が政権選択可能な状況を生み出すことが、私たちに課せられた使命です。
政権交代を時々起こし、政策や社会の硬直化を是正し、国の行く末を偏らせないこと。これは国民主権、議会制民主主義の下での国民の「知恵」と言っても過言ではないでしょう。
私たちの仕事は、提案をし続け、政権選択可能な状況をつくり続けること。私たちの挑戦は続きます。
(民進プレス改題23号 2017年3月17日号より)